HISTORY

都市計画研究室沿革

脈々と続く100年の都市計画研究室

本研究室を拓いたのは笠原敏郎先生であり、この点からすれば理工学部建築学科の中でもっとも伝統を持つ研究室といえよう。その後市川清志先生、小嶋勝衛先生、根上彰生先生、宇於﨑勝也先生が教授となり受け継いできた研究室であり、現在は、宇於﨑勝也教授、泉山塁威准教授により活動が進められている。

1920年6月、日本大学高等工学校が文部省から開設許可を得て、現在の日本大学理工学部が創設された。9月に土木科、建築科が開校されてまもなく都市計画研究室が拓かれた。
これまでの100年にわたる都市計画研究室の沿革を総括することは簡単ではないが、1923年の関東大震災とその復興、満州事変から1945年の第二次世界大戦終戦、1968年の日大紛争など、史実とともに都市計画の分野において歴代教員たちは活躍してきた。
1985年には小嶋勝衛先生が中心となって建築学科企画経営コースを開設、1992年には大学院不動産科学専攻を設置し、不動産開発・不動産科学の教育・研究を展開し、都市計画研究室の教員・学生もその一角を担ってきた。

年表

以下、都市計画研究室100年の沿革を年表にまとめる。実際には、さまざまな議論や研究の蓄積があるが、代表的なトピックや主な教員(教授以上)の在職期間を示すだけでも、都市計画研究室100年の変遷や積み重ねについて理解することができるだろう。

Figured by 森本あんな

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歴代教授

  • 笠原 敏郎Toshiro Kasahara(1882-1969)

    在職 1920-1936/1942-1947
    その後名誉教授

    1920年施行の(旧)都市計画法、市街地建築物法を起草。
    「都市ニ於ケル建築的施設ノ基本計画(主トシテ東京ノ場合)ニ就テ」で工学博士の学位を取得。
    関東大震災後の帝都復興事業の実施のため、復興局建築部長として従事(1924-1930)。
    満州国営繕需品局長、のち建築局長(1936-1943)などを歴任。

  • 市川 清志Kiyoshi Ichikawa(1917-1986)

    在職 1920-1936/1942-1947
    その後名誉教授

    旧満洲国・国務院建築局高等官試補(1941-1944)
    東京都建設局都市計画課勤務
    日大紛争の収束に尽力。
    「巨大都市における商業地域について」で工学博士の学位を取得。商業地・繁華街を研究テーマの中心としたほか、都市計画調査や計画立案に従事。
    日本建築学会副会長、都市計画学会評議員などを歴任。

  • 小嶋 勝衛Katsue Kojima(1940-)

    在職 1966-2009
    中国・西安理工大学名誉教授

    日本大学理工学部長、日本大学総長・理事長などを歴任。
    建築学科内に「企画経営コース」、大学院に独立4専攻「不動産科学専攻」を創設するなど都市計画とその周辺領域の教育・研究に尽力。
    「巨大都市における『商業地域』の土地利用に関する研究」で工学博士の学位を取得。商業地・繁華街のほか、軌道空間都市設計研究「トラポリス」研究などに従事。
    千代田区や船橋市の都市計画審議会会長を務めた。

  • 根上 彰生Akio Negami(1956-)

    在職 1985-2022

    日本大学大学院理工学研究科不動産科学専攻主任を長年務めた。
    「大都市の商業地域における『繁華地区』の研究-地区構造と再編過程について」で工学博士の学位を取得。商業地・繁華街のほか、大都市大震災軽減化特別プロジェクトなどに従事。
    目黒区、板橋区、足立区などの都市計画審議会委員を務めた。

  • 宇於﨑 勝也Katsuya Uozaki(1963-)

    在職 1993-

    日本大学図書館理工学部分館長
    「都市の夜間景観整備に関する研究-東京の繁華街の分析をとおして」で博士(工学)の学位を取得。商業地や景観、都心居住、不動産科学などを研究テーマとする。 板橋区、町田市、市川市などの都市計画審議会委員、千葉県、千代田区の建築審査会委員、川口市景観形成委員会委員などを務める。

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